お侍様 小劇場

   “これも茶飯事? 春の宵” (お侍 番外編 47)

 


 昼間ひなかの気温はぐんぐんと上昇中で、日を追うごとに風もぬるみ、暖かさを増し。梢の蕾のふくらみや空の色、時事ニュースに扱われる花便りなどなども、春が来たよ、桜が咲きそろうのも間近いよと、口々に告げ始める頃合いになった。とはいえ、まだまだ油断はならないということか、朝は放射冷却で、宵は宵でまだまだ湿気が足らぬからか、陽のないうちはあっと言う間に体感気温も下降する。この時期はうっかりしていると遅霜も出るんですよねと、庭の手入れにすっかりと慣れている家人が、鉢植えを台なしにされたくなくてか、きれいな眉を微妙に下げて、そんな言いようでこぼしてもいた。

 “……ふむ。”

 すっかりと夜陰に没したテラスへ向いた大窓へ、遅ればせながらカーテンを引いていたその手が ふと止まったのは。そんな小鉢たちがポーチの隅で身を寄せ合っているのが見えたから。プリムラやパンジーの可憐な花々は、今宵も冷えそうだが出しておいていいものか。そんな懸念がふと沸いた御主だったが、判らないものへと手を出して、却ってとんだことになってしまっては何にもならぬ。自分がやったことなれば、七郎次も憤慨の矛先に困ろうからと、その点だけは学習も完璧。

 “今宵中には戻ると言っていたのだし。”

 それからの対処でも間に合おうと、思った端から、噂をすれば何とやら。

 「お…。」

 この家の門前へとすべり込んで停まったタクシーの気配が外から届き、ドアを開閉する独特な音が響いたので、出掛けていた家人がようやっと帰宅したらしい。手にしていたカーテンをきっちりと閉じてから、さして急ぐこともなく…それでも心情的にはいそいそと、ゆったりした歩調で玄関までをと足を進めれば、

 「勘兵衛様。」

 彼の装いには珍しくも、やや畏まった型のジャケットスーツにスプリングコートを羽織った、日頃には滅多にしないいで立ちの七郎次が、そろりと玄関ドアを閉じているところに間に合って。ただ今戻りましたと、身を折ってのご挨拶を寄越した堅苦しさは、私的な外出で、しかもこうまで遅くなったせいだろう。毎年、この時期にとあるお出掛けを欠かさぬ彼であり、特に今回は、出掛ける前から少々帰りが遅くなりそうとの予測もあったようで、

 「お食事はいかがなされましたか?」
 「ああ。台所にあった指示どおり、冷蔵庫にあったものを解凍して食べた。」

 自分が不在の間に何か変わったことはなかったかとか、想定外の電話や届け物などで戸惑わなかったか、ではなくて。真っ先にそんなことを訊くのがいかにも彼らしいことよと、足音も控えてのそろりと、静かに上がって来る七郎次へと苦笑する。リビングへとまでやって来て、次に彼が口にしたのが、

 「…久蔵殿は?」
 「上だ。もう休んでおるのではなかろうかの。」

 後から聞いたのも予測はあったからだろう。それでも多少は残念そうに、そうですかと苦笑をし。

 「今日は部内の練習試合もあったそうですしね。」

 いつもの基礎練習とは微妙に、集中や何やも異なろうから。気疲れしもしたのでしょうねと、そんな納得寄せてから。じゃあこれは明日開けましょうねと、提げていた紙袋をテーブルへ置いたものの。その中からひょいと取り出したのが、重みのありそうな四角い包み。

 「こっちは勘兵衛様へのお土産ですよ。」

 あそこの地酒、お口に合ってらしたようですのでと、白い細おもてが優しい笑みを咲かせて にっこりほころぶ。どこに身を置こうと、何に向かい合っていようと、家人の存在が頭から離れないのが もはや基本となっている彼であり。1本だけつけましょうかと、言いながら、微かに すんと鼻声になったので、やはり表は冷えるのだなとの見識も新たに、

 「…。」
 「…あ。」

 脱いだコートとジャケットと、それらを掛け置いたソファーの背もたれへ、首元へ手をやり、しゅるんと緩めたネクタイも重ねようと思ったか、視線が下がった短い間合い。さして間近にいた訳じゃあない勘兵衛が、なのに気がつけば…その懐ろの中へと愛しい躯を封じ込めており。

 「…勘兵衛様。////////」
 「よほどに冷えたのだな。」

 うなじに束ねた金の髪、ほどく手際も慣れたもの。ぱさりと肩へ流れた淡色の流れは、すべらかだからこそ冷ややかで。それへと頬を寄せる所作に添い、雄々しい双腕の環が柔らかに絞られる。こちらが薄めのシャツ姿になっているからか、家着のカーディガンやシャツ越しでも、その屈強な充実が伝わって来。その温かさとこんな行動自体とへ、うっかりと酔いそうになるから恐ろしい。こうまで精悍なお人が、頼りたくての縋っている筈はなく。

 “勘兵衛様。////////”

 背中を抱く人の温みや匂いや、充実した存在感やに、この身だけじゃあなくの意識までもが、あっと言う間に搦め捕られる。自分とは違って、いかにも頼もしい大ぶりの手は、こまやかなことには向かないものの、それでも何であれ てきぱきとこなし。何より、しっかと支えて頼もしい、勘兵衛という人物の人性をそのまま示してもいるがため、実は秘かに七郎次が一番好きなところでもあって。
その手が、腕が、離すまいぞとこの身を抱いている。その懐ろへ深く閉じ込めたいかのように、両腕がかりでくるみ込まれることの、何と幸せな感触か。背へと触れての覆うのは、逞しくてやや堅い、鍛え抜かれた筋骨が張り詰めた、広くて温かな胸元で。強引な力任せじゃあないながら、それでも…無言のうちに“凭れておいで”と囁かれているのが感じられ。求めがあってこそのこの束縛と、果たして自惚れていいのだろうか。そんな恐れ多いことを思うものではないと、常と同様、我が身を戒めながら、それでも 甘くも切ない何かが総身を満たすようで落ち着けず。

 「如何した?」
 「…知りません。////////」

 これが昼間の他愛ない間合いのことであったなら、何かしら言い訳をし、上手に躱しもする七郎次が、今はそうと出来ない様子へ、ほくそ笑むように、声を低める勘兵衛であり。ああ、夜はこれだから。冴えた夜陰の素っ気なさの中へ、今更ひとり放り出されるのが怖いのだろか。人恋しい気持ちも知らずつのっているようで、この手を放してほしくはないと、甘えか弱音か、そんな脆さがどこからともなく顔を覗かせる。

 「……シチ。」

 そうまで強く抱いてもないのに、身じろぎさえ出来ぬまま、立ち尽くしている愛しい人へ。さあと促すように、その耳元へ何かしら囁きかけたそんな折、

  がたん、と。


 頭上から、何やら堅い音がして。

 “え?”

 見かけ以上に頑丈な家だ、衣擦れの音だの しわぶきの声だのという程度では、階下へまで届かぬはずだから。ということは、随分な物音だということではなかろうか。

 「…久蔵殿?」

のお部屋ですよねと、直前までの甘やかな煩悶やら切なげな感傷が一気に吹っ飛び、肩越し背後の御主を振り仰いだ七郎次が見やった先で、
「…。」
 無言ながらも表情は正直なもの。さほどに大仰なそれじゃあなかったが、七郎次の目には明らかに、

 『ぬう、目が覚めおったか』

 そうと言いたげな、ちと残念だという色合いの感情が、目許や頬へと浮かんでいたのが丸判り。そうこうするうちにも、

  がたん。…がたた・がたがた、ばさばさ…どたんっ。

 なかなかのにぎやかさが響いてそれから。ばたーんっと、これもまた日頃にはない勢いでドアが開いて、そこから誰かさんの気配が飛び出した…と思った次にはもうご到着の

 「久ぞ…。」
 「しまだっっ!!」

 今の今まで寝ていてのこれというのは、とんでもない勢いでの感情の立ち上がりなんじゃあなかろうかと。立ち眩みや目眩いはしないかなんてな、お年寄りじゃあないんだからとのツッコミが入りそうなほど、見当違いな心配をついついいだいてしまった七郎次だったのも、だがだが無理はないほどに。怒り心頭に発したという態で戸口に仁王立ちとなっていたのが、

 「久蔵殿。」

 自分が出かけていた間、やはりお留守番をしていたはずの次男坊であり。父親代わりの御主を掴まえてそんな呼び方はいけませんだとか、もう遅い時刻なのですから大きな音立てて騒いではいけませんだとか、型通りの叱責を紡ぐよりも。しっかと勘兵衛の懐ろへ掻い込まれている自身の態勢に気づいて、あわわと赤面しながら狼狽するよりも先、七郎次の視線が真っ先に捉らまえたのが、

 「その手首は…?」

 リビングへの入り口、刳り貫きになった戸口のその枠へと、添えての引っかけた格好になっていた、次男坊の左の手首。パジャマ姿じゃあなくて、普段着のまんまで寝たものか。木綿地のパーカーの袖口が、前腕の半ば、肘近くまで上がっており。そうしてあらわになってた白い手首に、何やら巻き付いているではないか。しかもそれを同じように見やった勘兵衛が、

 「おお、解かずに切りおったか。せっかちな奴よ。」

 それでのあのドタバタした物音だったかと、どこか悠長な言いようを付け足せば、

 「〜〜〜〜っ。」

 まだまだ瑞々しい方が勝っての、すべらかな頬に細い鼻筋と。せっかくの端正なお顔をあらわな怒りで塗り固めると、鋭角な目許をきつく眇め、顔自体をやや伏せての威嚇の態勢。そのまま今にも低く唸り出しそうな御面相になった、うら若き剣豪殿ではあったけれど。そのまま怒涛の背景背負って突っ込んで来るかと思いきや、

 「………シチっ。」

 たたたたたっと小走りに駆け寄ったそのまんま、彼が目がけたは怒りの矛先向けた存在の…その手前。何だ何だと唖然としていたおっ母様の懐ろ目がけ、ぱすんと体当たりを敢行し、ぎゅぎゅううっと掻きいだいての 懐いて見せるお約束へとなだれ込む。
「ああ、えと…ただ今帰りましたよ?」
「……。(頷、頷)」
 今日は彼も、会社があった勘兵衛と同様に学校へと出掛けていたので、話相手のいない、手持ち無沙汰なばかりな長い一日じゃあなかったはずで。出掛ける前に七郎次が用意してった夕餉を取り、彼ら二人きりでもそれなり、話題があるらしいのを持ち出して、寝るまでの時間を過ごしていたものと思っておれば…の、この唐突な展開で。

 “…お元気ではあるようですが。”

 先程の勘兵衛の言いようといい、日頃だったら、こんな乱暴な暴れようなどしない。そうなるための起爆にあたろう、激しく怒るということになかなか達しないはずの次男坊が。これは自惚れがどうとかいう以前の問題として、外出から帰還した七郎次に気づくよりも先に、その怒りを発露したままぶつけたほどの何かしら、諍い合ってた何かがあった、お留守番の二人だったということじゃあなかろうか?

  ―― 何よりも気になるのが、

  「…手首、見せてくださいな。」

 母上にしがみついたそのまま、視界から去ってしまった彼の左腕。促すと…少々決まり悪そうな緩慢さを見せ、密着していた身をやや緩め、離れて出来た空隙へ自分の左手を上げて見せる。そこには濃色の蛇が巻き付いているようにも見えて。それほどしっかりした生地の紐、どうやらネクタイらしいのの中途半端な切れっ端が、その場しのぎのミサンガ、プロミスリングのように結ばれているではないか。それも、
「これって、両手でないとなかなか解けない結びようでは?」
 紐の結び方には色々なのがあり。結び目から余った分の片やを引けば、結束バンドのようにしまって解けなくなるものや、逆に、簡単には解けない固定用の結び方だのに、決まった方の側を引っ張ると いともたやすく解けて、そのまま回収出来るような結び方までと多種多様。船の係留やら宮大工の金釘使わぬ手筈、茶道具や重要な文書を勝手に開封されないようにという複雑な飾り結びまでと、様々な仕事や都合から生まれたその全て、手習いのついでという感覚で、身につけている困ったお人と言ったら、
「勘兵衛様、久蔵殿と一体 何して過ごされておいでだったんですか?」
「そうそうややこしいことをしてはおらん。」
 疚しいというか、いかがわしいことをしておったように訊くなということか、そちらも心外であるとのお顔になった御主様ではあったれど。何せこちらは二人掛かり、しかも至近からの凝視であったため、じきに“判った判った”と破顔され、

 「なに、二階へ寝かしつけにと上がったおり、ちょいと降りて来にくいようにしたまでのこと。」
 「〜〜〜〜〜っっ。」
 「…勘兵衛様。」

 七郎次の外出は前からの予定で仕方のないことだし、小さな子供じゃあないのだ、いい子で留守番するのも造作ないこと。剣道部の練習があった学校から久蔵が自宅へ戻って来たころには、勘兵衛も早いめに会社から帰って来ており、二人掛かりで…解凍するだけで何でこんなまで散らかるかと、翌日の朝、七郎次が苦笑をこぼしたほどのキッチンにし、夕餉を取ってからの さて。あんまり夜更かしが得意ではない久蔵が、それでも何とか、おっ母様の帰宅まではと頑張っていたのを、微笑ましげに見守り、助けになればとあれこれ話しかけていたのだが、それでも十一時を回るとソファーにかけたまま舟を漕ぎ出したため、

 「いくらなんでも此処で寝かすのは忍びなかったのでな。」

彼ほどの痩躯なら軽いものよと、ひょいと抱えて二階まで、ともすりゃ既に沈没し切ってたそのまま、運び上げての寝かしつけてやったそのついで、

 「…ポケットへ入れっぱなしだったネクタイで、
  片手だけじゃあ解けなかろう結わえ方で、久蔵殿の左腕をヘッドボードに括りつけたと?」

 余剰
(あそび)は作っておいたから、無茶さえせねば傷めもせぬだろと、しゃあしゃあと言ってのける勘兵衛だったが、

 「…勘兵衛様。」

 七郎次が呆れたのは何もそんな彼へとだけじゃあなく、
「あ〜あ、これってやっぱりネクタイじゃあないですか。」
「…っ。」
 そうとこぼした七郎次の言いようへ、途端に身をすくませた久蔵であり。どしました?と目線で問えば、しょんぼりと項垂れさせた細い肩へ、何とも切なげな寂寥感さえ滲ませながら、

 「……すまぬ。」

 シチの気配がして起きたのに自由が利かず、透かし見た先、自分の手が固定されてると気がついたと同時、誰がどうしてこんなことをしたのかと、一気に合点がいったそのまま、出し抜かれたと頭に血が上ってしまっての、ただただ闇雲にハサミを掴んでやってしまってたこの所業。
「シチがいつも言うのに。」
「そうでしたね。何でも大事に使いましょうねと言ってましたものね。」
 自分の胸元へ依然として回されたままな誰かさんの腕の下から、そおと延ばした白い両手が、最初はちょっと手古摺りつつも、するりと解いたネクタイの成れの果て。細いほうの半分ほどだけとなっており、きつくよじった皺も深くて、これは到底修復もかなわぬだろう。そんなことより、その下から現れた、痛々しい赤い跡のほうへと、七郎次の手がやさしく触れて。

 「こんなに赤くして。…痛くないですか?」
 「〜〜〜。(否、否、否)」

 そおとその手を胸元へと引き寄せて、自分の身へと当てがった七郎次であり。そんな優しいいたわりは、久蔵としても何とも嬉しかったらしいのだけれども、

 「…っ、〜〜〜〜〜。」

 すぐ真上にあったのが、こんな仕打ちを自分へと仕組んだ誰か様ご本人。大方、冒頭でそうだったそのまま、帰宅した七郎次と二人きりの宵を過ごしたくての悪戯だったに違いなく。
「そのまま朝まで観念して寝直せばよかったろうに。」
「〜〜〜〜〜っっ!!」
 いかにも名残り惜しそうに言うものだから。そんな途端に…こちらも負けてはいません、どんっと、珍しくも音立てて、床を踏み鳴らしたその先で、

 「…っ、つうぅっ。」
 「あれまあ。」

 思い切り踏みつけられそうだなと察しはしたものの、そのまま素早い反射で逃げられなかった勘兵衛だったのは。そんな拍子に…懐ろへ深く抱いてた伴侶の身、何らかの格好で蹴り上げかねないと、素早く気づいた、これも反射の働いたせいであり。

 「…まったくもう。」

 私を挟んでの喧嘩はよして下さいませと、ある意味立派な火種でもあるお人が、そこのところを判ってないよなお言いようをしたりもし。色々な意味で相変わらずの、これでも幸せな団欒に満ちたまま。島田さんチの春の宵、静かに静かに更けてゆくのでありました。






  〜どさくさ・どっとはらい〜 09.04.01.


  *ちなみに、問題のネクタイは、
   バレンタインデーに部下の誰だったかなから貰ったらしい品で。
   さすがにシチさんが選んだものは、
   こういうことへ使えない勘兵衛様でもありました。

   で。
   エイプリルフールにかこつけて、何か嘘ネタでもと思ったのですが、
   私なんぞの考える企み、
   あの勘兵衛 大タヌキ様に手掛けてもらうには、
   役不足もいいところとなりそうなので、
   だったらいっそ、お話自体を嘘くさいものにしてみました。
   題して、こんなことをする勘兵衛様なんて ウ・ソ♪

   「〜〜〜。(否否否)」
   「どしました、久蔵殿。」
   「このくらいの策なんて生ぬるいとか言いたいのではないか?」
   「勘兵衛様、それって…。」
   「いや、まだ何もしとらんが。」

    まだって、おっさま……?
    こっちは島田せんせいVer.じゃあなかったはずですが…。

   「よもや、久蔵殿が眠くなったのも、一服盛ったからじゃあありませんよね?」
   「盛っておったなら、わざわざ縛ったりはせぬ。」
   「……勘兵衛様。」

    お後がよろしいようで。
(う〜んう〜ん…)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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